奥亀屋一慶 & 希望の園プロフィール
奥亀屋一慶プロフィール
2002 年三重県松阪市生まれ。2015 年より松阪市にある〈希望の園〉の村林真哉施設長が週末に開くアトリエ〈HUMAN ELEMENTS〉に通い、絵画制作をスタート。油性ペンでの制作を行っていたが 2019 年、油彩に転向。2020『第一回アートパラ深川大賞』厚生労働大臣賞受賞。第23回三重県文化新人賞を受賞。
2021 年『アウトサイダーアート展 Our Life is Our Art そしてその先へ=「THE WORLD」』(東京 GYRE GALLERY)等、出展も多数。


Title:闘うな、恋をせよ!

Title:妹とけんかをしない人を演奏するソニーロリンズ
希望の園 紹介
三重県・希望の園
本人が気づいてない個性や長所をとらえて、
その奥にある天才が見れるとよい。
一般の芸術賞を次々に受賞する快挙!
三重県文化賞・文化新人賞、みえ県展「洋画」最優秀賞など、一般のアーティストと競いあって次々に受賞する快挙を成し遂げたのは、三重県松阪市にある NPO 法人希望の園です。アート活動は、1998年に小規模作業所から始まりました。
2005 年には NPO 法人希望の園を設立、2009 年から生活介護事業所、日中一時支援事業所等を運営しています。法人の目的は「チャレンジドやマイノリティなどに対して支援をし、人々の個性を育み、活かす事で創造的活動や社会活動に関する事業を行う。一人ひとりを豊かにし、生活そのものが芸術になることを目ざし、地域福祉及び文化の増進に寄与すること」です。

その育ての親が、施設長の村林真哉さんです。村林さん自身も若い頃不登校の時期があり、高校でも 1 年遅れだったこともあり、教育に対して自分なりのこだわりや考えが生まれたそうです。希望の園のスタッフになる前に、特別支援学校や一般中学、高等学校で美術を教えていました。しかし教師の仕事が無くなり、理想とする創作教育と経済的自立のため、1996 年にアトリエ HUMANELEMENTS を始めました。毎週土曜の午前と午後に開催し、健常者も含めて子どもから成人までいましたが、現在は障がいのある人ばかりになりました。ここで才能が発掘され、成長し、希望の園に入って活躍しているアーティストが数多くいます。

その人の奥にある天才性をつかみ出す。
村林流のアーティストの育て方は、その作家さんを自分なりにつかんで作品を見た時、まずは作家さんの個性、作家さんそのものが見えてくるようにしています。その作家さんのやりたいことの100%に近づいているかどうか、また創作の上で本人が気づいてない個性や長所をとらえて、その理想を実現する支援を心がけています。他人の評価は気にかけないし、多くの人たちに好まれる作品を目指すということもしません。村林さん自身が見たことないもの、感じたことのない気持ちにさせてくれるよう、その人の奥にある天才が見れるとよいと思っているそうです。
現在、アーティスト 40 名と契約。靴を脱いでアトリエに入ると、昭和の美大を彷彿させる自由でゆったりとした空間の両側に描きかけのキャンバスが雑然と並んでいます。座布団の柄もバラバラ、型にはまらない空気や指導が、個性の華を咲かせていることを実感できました。奥亀屋さんがコレクションしているレコードからクラシックを流していました。創作スタイルも実に多様です。肢体不自由者のために全身に絵の具を塗りたくって、ライブペインティングを行ったこともあります。その人は重度な脳性麻痺による運動機能障害、四肢不随意運動があり、勝手に激しく動いてしまうので、いつも手足を車いすにフックしています。本人から「自分の身体の本来の動きを肯定して、新しく何かを創りたい」と言われ、それを具現化したそうです。まさに、本人の障がいを個性と考え、その可能性を引き出すための常識にとらわれない不随意運動ペインティングだったのです。
多種多様な表現活動が才能を開花させる。
村林流の表現活動は、アートだけに留まりません。1999年から希望の園メンバーでオリジナル曲を創作、演奏しています。一人ひとりがキーボードをさわり、みんなから出たメロディを音楽の講師が譜面に書き留め、メロディをつなぎ合わせ、その曲にみんなで歌詞をあてはめています。演奏はスタッフが中心で、年数回県内外でライブを行っています。私もライブを見学に行きましたが、アーティストが本当にイキイキと演奏し、歌い、踊る姿にこちらも楽しくなって一緒に踊ってしまいました。小中学校との交流会、ゴミバスターズ、国際交流、生涯学習(英会話、国語 A/B、文学A/B、政経、日本史、世界史、生活、計算、地域よくばり講座)などユニークな活動も行っており、これからも村林流で育つ個性的なアーティストから目が離せません。